猿をかついで、背負い投げ。   - nobuaki blog - 

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「劇団月夜果実店」

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1991年に出版されたノンフィクション「劇団月夜果実店」を、それこそ約15年ぶりに読んだ。
展開回路をつくった頃に買って、読んだ。それ以来だ。
この本をご存知の方、この劇団をご存知の方はいるだろうか。

作家の小林道雄氏が、劇団月夜果実店と主宰の堀切和雅氏に密着する。

なぜ若者たちはこんなにも芝居をやるのか、なぜ若者たちは死の観念から逃れられないのか、なぜ若者たちはいつまでも幼稚性から脱せない芝居をやるのか。

当時20歳の自分は、先輩劇団のノンフィクションとして興味深く読んだ。
この本の中で堀切氏は30歳だ。
当時、自分が30歳になるなんて思ってもいなかった。
自分の芝居でさっさと売れるつもりだった。
芝居に夢と野心しかなかった。
今、僕は34歳だ。

本を読み返してみて、現在の小劇場と社会の様相は15年前とちっとも変わっていないと思う。
もちろん、それはいい意味ではない。

なぜ芝居なのか。

それは自分にもうまく答えられないけれど、その考察がこの本にはある。

ひとつの暗澹たる答えとして「高度資本主義社会」という言葉が、僕の中に浮かんでくる。

うまく言えなくて申し訳ない。

当時、堀切氏が抱えていた課題や宿命、そして小林氏が懸念した社会のあり方から、今も一歩も抜け出せないで我々はいる。

あまりこういうことは営業戦略的に言ってはいけないのだが・・・。
劇は確かに娯楽だが、単に100%の娯楽と思ってつくっている者も観ている者もいないと思う。
だとしたら芝居はあまりにも非経済で、やや内省的に過ぎる。
テーマパーク、店、ブランド、音楽、映画、ミュージカル。
娯楽ならいくらでも都市に溢れていると平田オリザ氏も言っている。
なら、芝居は誰がためにあるのか。
我々には、おとなしく従順に働いて生きているだけでは、自己実現を得られない苦しさがある。
そこに芝居という表現が存在すると思う。
なぜこの社会(学校・会社)で真摯に生きても自己実現が得られないのか。
それは、ニンゲンが不在で直接性がないからだ。
それを身の不幸と言って嘆くつもりはない。
それにはいささか歳をとりすぎた。もう思春期ではないのだから。
いつの世にも、能天気な幸福な時代などなかったと思っている。
なんにせよ強く明るく生きようと指向することに変わりはない。
芝居をプロパガンダではなく、娯楽として成立させることこそが、社会に拮抗することだと思っている。
稽古場で僕はいつも元気だ。

HPで調べてみた。
堀切氏は現在、某短大で教鞭をとっている。
そして、休止していた劇団月夜果実店の活動を数年前に再開した。
氏は学生時代、爆風スランプや聖飢魔Ⅱの母体となるスーパースランプというバンドをつくった人でもある。
決して若者ではなくなった堀切氏は、いま何を考えているのだろうか。

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  1. 2006/11/03(金) 21:40:14|
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